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2011年09月11日
鎮魂の形
米国の9・11から10年・・・報復の連鎖はやまず、世界は疲れ切っています。
加えて東北大震災から半年、今だ原発事故の終息の見通しはたたず、被曝から子ども
たちをいかに守るかという国民的な課題に私たちは直面しています。
毎月、毎週末のように日本列島を襲う台風は各地で大きな被害も出しています。
もう、どこにも安全な場所はない。災害、テロ、極めつけは放射能。
沖縄への米軍基地の押し付けは、幾度内閣が変わっても日本政府の意思として米国に
伝えられ・・・地元、沖縄県民の願いは踏みにじられ続けています。
受難の夏に沖縄各地で開催されたエイサーまつり、グソー(あの世)から故郷へ帰っ
て来た魂を歓迎し、見送る習わしは、夏の風物詩として定着し、「観光化」されもし
ています。しかし、どのまつりも今年は「東北大震災支援」をうたって義援金を募っ
ていました。また、被災地から避難して来た人々も、勇壮なエイサーの響きに魂を揺
すぶられ、生きる力を蘇えらせるのです。
不思議な縁でエイサーの元々の由来は福島の念仏踊りであることが知られています。
華麗なエイサーの中で、目を引くのはモノクロームの衣装の「平敷屋」の青年エイ
サー。初めてこのエイサーを目にした時からの衝撃の理由は、エイサーのルーツ
とアジアの文化との出会いが、私の体内に流れているからなのでしょうか。
しかし、どのエイサーも受難の地に想いを寄せ、生き抜くエネルギーの中で
自らを奮い立たせるものとして、沖縄県民の「鎮魂」の形であると思うのです。
Posted by まーめ at 20:31│Comments(0)